2011年12月11日日曜日

児童精神医学の潮流

昨今の活発な発達障害啓発を受けて
幾許かの警鐘を鳴らしたい。

私個人としては
児童精神医学のルーツはやはり

非行臨床にあると思っている。
私自身が児童・思春期精神医療に携わるきっかけが
少年院にいる少年らとの出会いから、というのも影響しているかもしれないが・・・。

発達障害に関する啓発が盛んになるにつれ
ここ数年で、様々な領域で活動が展開されるようになった。
良くも悪くも、と言えようが、目を向けられるようになった。

しかしながら
いわゆる「非行」に走った子供たちについてはどうだろうか?
目を向けられるどころか
目をそらされているでしょう。排除への道を突き進むかのように。

非行という行動様式の背景には、様々な要因が複合的に作用している。
それらは、生活の中に多くが潜んでいる。

何が彼らを非行たらしめたか・・・
あくまで個人的な印象であるが
よくある「虐待の影響で」「愛着形成が不十分・・」というコメントをお気楽に発する人ほど
まさに見て見ぬふりをしていると感じる。
そんな簡単に説明がつくほど、非行という様式は単純なものではない。

さらには「非行」について
今知られるようになった「発達障害」という観点での説明のほうが、周囲にとっては何かと都合がよいのだろうか?
生活の中に潜む、彼らを蝕んでいる要因から形成される、彼らの行動様式を
「発達障害」のせいにしてしまえばいい
といわんばかりの乱暴な論調まで出てくる昨今。
例えば、ADHD傾向があったからこのような行動が・・・など。
そんな議論に私は半ばウンザリしつつある。

まずは「外傷」と「発達」という2軸がどのようにクロスして、ねじれてしまっているのかを
見極め紐解く作業が、非行臨床の「キモ」だと思っている。

以前、児童相談所の児童福祉司を対象にした
研修会の講師を頼まれたことがあった。
特に思春期臨床では、自傷行為、アルコール・薬物乱用・依存、などの問題は必ずと言っていいほど目にするものであるが、
実際に、児童福祉士(ちなみに群馬です)に対して薬物関連問題に携わったことがあるかどうか尋ねたら
ほとんどが関わったことがない、という回答。
発達相談についてのノウハウは確立され、しかしそれにより過剰診断傾向な印象。
一方で保護所にいるこどもたちの評価においては・・・過少評価どころか手がつけられていないことも間々ある。
こども支援の第一線機関である児童相談所ですら、このような状況である。

児童精神医学での学会も
ほとんどが発達障害に関する話題であり、
非行臨床に関するテーマは少なくなっている印象を持たざるを得ない。

発達障害「ブーム」(?)の陰に隠れた非行臨床。
アルコールやクスリに耽溺し、時に自分の体を傷つけ、してはならないとわかってしても刹那的な快楽を追求するための飽くなき行動・・・万引き、恐喝・・・。
対人希求的な行動としての様々な自虐的行為を繰り返す彼ら彼女ら・・・。
それらの行動の背景には、まず間違いなく
「悲しく寂しい思い」
が根を張ってしまっている。

非行に走ったこどもたちの、生きざまを知らずして
私は児童精神医学など語れないと思っている。
最近の児童精神医学の潮流は、やはり発達障害。
もちろん、発達障害に纏わる諸問題が山積みになっていることは
臨床実感としても持ち合わせている。
 
一般的に
わかりつつあること、そして流行りのことには、手をつけやすいもしくはつけたがる。
わかりにくく面倒なことには、手をつけにくいもしくはつけない。
最近の児童精神医学においても、同様のことが言えよう。

しかし、このあたりで
少しばかり日の当らない、日陰になってしまっているところに
今一度、光を当てられないだろうか?
 
「構造化」や「SST」の陰に隠れて
「酒」のんで「シャブ」キメながら、ホントは心の中で泣いている少年たちがいることを
忘れないでほしいと、切に願う。

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